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ノワパラ×アマービリタ短編
「​出会い」

 甘い店の前に、赤いリボンを髪につけたスーツの不審者がいた。
 看板を凝視しているかと思ったら、物凄い速さで電話をかけ始めて、ぴょこぴょこと飛び跳ねていて、そのまま落ち込んだ。
 頭を抱えた、と思ったら首を回して周囲を眺め始めている。不審者だなぁなんて呑気に思っていると、俺と目があった。
「お前、今だけ僕と恋人になろう!」
「は?」
 あっ猫被るの忘れた。

 
「期間限定で今日までの恋人限定パンケーキを食べたいから宜しく」
 魚を狙う猫のように素早く近づかれた。俺より頭一つ小さい小柄な男だ。
 真っ黒な髪は藍色以上に長くて、お団子で結ばれているのに腰下まであった。

 髪と同様、漆黒の瞳は光がないのに、期待に輝いている。黒いスーツに黒の手袋をはめて全身を黒で覆っているが、肌は太陽の光を受け付けないかのように白い。
  黒と白のコントラスト差かもしれないが、みずより色白に見える。
「友達誘いなよ」
「断られた」
 ですよね-。さっき電話していたもんねー。

「なんで俺なのさ」
「目が合ったから」
 うん。知ってる。
「だから、今だけお前は僕の恋人になって」
「断る。大体君の俺が恋人同士ってのは結構無理があると思うというか……」
「仕方ないなぁ。ちょっと着替えてくるから待ってて」
「は? え?」

 俺の感情が追い付く前に、この見知らぬ不審者は話しを進めていく。一方的な約束なんて律儀に守る必要もなく、とんずらすればいいだけの話なのだが、去り際に「逃げたら殺すから」とおおよそパンケーキを食べる恋人のふりをするのにふさわしくない台詞に、冗談とは受け止めきれないくらい背筋が凍ったので、大人しく待つことしかできない。
 物騒な言葉で脅してくる高校生とか嫌なんだけど。高校生が黒いスーツ着てるのも違和感がある。
 待ち時間は思ったよりも短く、高校生は戻ってきた。
「お待たせ!」
「え、君。女の子だったの?」
 お団子だった髪型は降ろされハーフアップにして赤いチェック柄のリボンで結ばれていた。お団子じゃないから先ほどよりも髪の毛が長いのに、絡まった様子はなくサラサラとしている。

 赤いリボン以外の色が入るのを拒むかのように服装は黒の濃淡で統一されていた。ふんわりとしたスカートに、黒のタイツを履いている。可憐な美少女そのものだった。
「は? 僕は男だけど」
「え、いやだってその恰好……」

「お前が見た目を気にしたんだろ? まあ一目で恋人だって判断してもらえるなら、女装した方が早いしね」
 パンケーキを食べるためだけに労力をかけすぎだ。何この子怖い。見た目は確かに中性的だったから、レディースに着替えれば騙すことは容易だけど、普通パンケーキのためにそんなことするか?

 パンケーキよりも絶対高い衣装一式を買い揃えているの、おかしくない? 手には購入した服に着替えた名残で、紙袋にはスーツが几帳面に折りたたまれている。
「逃げないで残っていてくれて良かったよ。逃げるかと思った」
「パンケーキが原因で殺されたくはないからね」
「さ、早くいくよ。パンケーキが逃げちゃう」
「逃げないよ」

 こうして、急転直下の展開で見ず知らずの女装した少年と恋人のふりをしてパンケーキを食べることになった。
 世の中何が起こるかわからないものである。わからなさすぎだろ。
 甘い店内へ入り、席に案内されると店員さんに本日までの恋人限定パンケーキがあるので良ければどうぞとメニューを渡された。
 目論見は大成功のようだ。

「良かったね」
「うん!」
 可愛らしく返事をされた。
キラキラと輝きながら、彼はパンケーキとオレンジジュースを頼んだ。俺も飲み物にコーヒーを注文する。
 それにしても恋人限定パンケーキのお値段高い。二人分にしても三倍くらい値段はしてそうなんだけど。まぁ仕方ない。付き合ってしまったから出費は甘んじて受け入れよう。

 頼んだパンケーキは、ピンクと水色のゆるふわ可愛いを詰めた生クリームの暴力だった。パステルなマシュマロが山の半分に、残りにチョコソースがかけてあり、皿の周囲にはイチゴやバナナ、ソフトクリームやバターが添えられている。パンケーキのパンの部分は生クリームで見えない。
「わー! わー!」
 美少女外見の彼は目の前のパンケーキにうっとりとしていた。
 俺は皿ごと渡すと、フォークとナイフを手に持ち食べる気満々の少年に首を傾げられた。
「あれ、食べないの?」
「俺はいらないかな。どうみても甘すぎる」
「そんなことないよ」
「その生クリーム盛りだくさんの見た目で甘くなかったら逆にびっくりだよ! 中を開けたら唐辛子でも使っているっていうの!?」
「美味しかったらそれもありなんじゃない」
「ないよ」
 どう考えたらアリになるんだよ。

 しかし財布からお金を出すのに全く食べないのももったいないので、二口分切り取って食べた。甘かった。もう単純に甘い以外の言葉がないくらい甘かった。ブラックコーヒーに癒される。
「ところで、君の名前は? 俺は色葉」
「ヒカゲ」
「ヒカゲ君ね」
 山のような二人前のパンケーキがどんどん減っていくのを暇なので眺めた。匂いだけで胸やけしそうなんだけど。オレンジジュースも甘そうじゃない? 

 ブラックコーヒーがなくなった。メニューを見ると同じドリンクなら二杯目は半額なのでお代わりをした。
 ヒカゲ君はパンケーキを間食し終わり――食べきったの凄いんだけど。恋人限定だから二人前はあったけど――オレンジジュースを飲んでいる。
 お代わりのブラックコーヒーもまだなので雑談することにした。ヒカゲ君で真っ先に目につくのはその髪の毛だ。
「ヒカゲ君、髪長いよね。俺の知り合いにも長髪の男いるけど、比較対象にならないくらい長くてびっくり。願掛けでもしているの?」
「妹は髪短いから僕は伸ばしているだけだよ」
「はい?」
「お揃いの髪型とか嫌じゃん」
 意味が分からなかった。
 仲が悪くてお揃いが嫌なのかなって想像はつくけど、普通逆だろ。
 妹さんが伸ばせ。何故男の方が伸ばすんだ。
 お代わりをしたコーヒーも飲み終わったので、財布を取り出してパンケーキと飲み物代を出そうとしたら怪訝な顔をされた。
「僕が払うよ」
「ほぼヒカゲ君がパンケーキを食べたのは事実だし無理やり誘われたけどさ、それでも半分は出すよ」
「全額僕が払うって。色葉の飲み物代もね」
「いや、年下に全額奢ってもらうわけにはいかないって」
「は? 僕と色葉同い年くらいでしょ」
「いやいや、どう見てもヒカゲ君の方が年下でしょ。俺は高校生じゃないから」
 俺は大学三年生です。
「僕、二十二なんだけど?」
「え――? えぇ!?」
「色葉はいくつなの」
「……二十歳」
「はい、僕が年上なので奢るから」
「……お願いします」
 年齢に負けたので奢られました。

 嘘でしょ。その身長でその顔でその見た目で俺より年上とかありえない。高校生とばかり思っていた。お酒飲める年齢とか信じられないんだが。パンケーキを勢いよく食べる姿なんてハムスターみたいだったぞ。
 ヒカゲ君の財布は黒だった。赤いリボン以外に色があるもの持ったら死ぬ呪いでもかけられているのかなってくらい黒で統一されている。ちらっと見えてしまった財布の中は潤沢だった。
 会計を終えて外に出る。ヒカゲ君は女装した格好のまま上機嫌で今にも踊りだしそうだった。
「今度はちゃんと友達誘ってね」

「じゃあお前を誘うね」
「いつの間に友達になったんだろう」

 猫を最初に被り忘れたから、素のままでいられるので楽だけど友達にまで進展したつもりはない。不審者の印象拭えていないし。
「酷いなぁ。僕の友達が二人に増えたって別にいいと思うけど」
「え!? ヒカゲ君一人しか友達いないの!? 寂しくないか」
「そういう色葉は友達いるの」
「たくさんいるよ」
 本性を知らない友達ばっかだけど。

「嘘っぽいなー。だって色葉性格わるいじゃんー」
「ほぼ初対面の君に性格の良しあし判断されたくないんだが」
「そう? あっていると思うけど。まぁいいや、とりあえず連絡先交換しようか」
「……うん、まぁいいけど」
 別に表面上の友達も沢山アドレス帳に入っているので、今更パンケーキで出会ったヒカゲ君の連絡先が増えたところで別段支障はない。

 どうにも高校生の認識が覆せないから、不審者でも悪い奴ではないみたいな印象なんだよな。

 こうしてヒカゲ君と友達になったのであった。

 この時の俺はまさかヒカゲ君が――藍色よりも質が悪いとは思わなかった。
 

 連絡先交換も終わり、さようならして終わるだけのはずだったのに予定外のことが起きた。
「いろ!」
 背中越しに声をかけられた。まさかこの声の主は――と思って振り返ると親友のみずと、藍色が一緒にいた。藍色の手にはエコバックがあり、長ネギが飛び出している。夕飯の買い出しのようだ。
 藍色は怪訝な顔をした。
 なんでこいつがここにいるんだ、みたいな失礼な顔だった。
 俺だってたまにはパンケーキを食べるのにパンケーキの店に入るんだよ。
 みずが俺の隣にいる見知らぬ子がいるのを見て、目を丸くして驚いてから微笑んだので嫌な予感がする。

 そういえば、ヒカゲ君の今の姿って完璧なる美少女なんだよなー。
 女子の平均身長よりかはあるけど、俺と並ぶと頭一個違う分さらに小さく目に映るだろうし。いやでもみずは変な想像はしないと親友へ信頼を寄せていたが、問題は藍色だった。
「知らない間にどうやら色葉に彼女ができていたようだな」
「そうだったんだね、いろ。教えてくれればよかったのに」
 親友なのに教えてもらえなかったことが少し不満です、みたいな顔をしてみずが納得した。
「いや、みず! ちが!」
「かわいい人だね、おめでとう。いろ」
「ちがっ! これはその!」

 俺がみずへ懸命に否定しようとしているのに、藍色が良かったなと言ってくる。
 こいつ、ヒカゲ君の女装を見抜いたうえで揶揄ったな悪魔め!
「初めまして、色葉の彼女でーす」
 さらに悪魔はもう一人いた。ヒカゲ君が悪乗りしてきた。嘘でしょ。
「邪魔しちゃ悪いから、みず。帰るぞ」
「わかったよ。いろ、また大学で会おうね」
 藍色がみずを連れていってしまった。
「あぁああ!!」
 往来であることを忘れて俺は叫んだ。きっとヒカゲ君を睨む。
「ヒカゲ君と友達辞めたい……」
「え? 逃がすわけないじゃん」
 背筋が凍りそうな言葉だった。
「なんでヒカゲ君はパンケーキを食べたい高校生なくせにちょいちょい怖くなる発言するの、ねぇ? どう考えてもヒカゲ君が百%悪いのに、なんで僕のせいじゃないよって顔しているの、教えてくれない?」
「僕は高校生じゃないし、色葉より年上だから。なんで、友達二人目なのに逃がさないといけないのさ。お前はもう僕の友達だよ」
「俺を獲物みたいに言わないで……とりあえず俺は帰るよ」
「来週の土曜日にでも遊ぼうか」
「拒否権は?」
「ないけど」
「貴重な土曜日がヒカゲ君に潰されるんだね」
「土曜日だけで済んで良かったね」
「そうですね」
 ちょくちょくヒカゲ君の発言が怖い。まぁ別に素で接することが出来るので、学校の友人たちよりかは気楽に遊べるし拒否する理由も特にない
「でも夕飯までには帰るから」

 下手に外食しようってなったら夕飯もパンケーキにされる未来が見えた。お肉が食べたい。
「いいよ」
「それじゃ土曜日に」
 待ち合わせ場所は決めていないが、連絡先を交換したしメールでやり取りすればいいだろう。これ以上往来でヒカゲ君が恋人だと勘違いされたくない。そうじゃなくったってこの偽美少女は目立つ。


 早歩きで藍色の家へと向かった。
 エントランスでインターホンを鳴らすと、買い物帰りは真っすぐ帰宅していると思っていた予想通り、藍色が応じた。
 玄関で靴を脱いで入ると、珍しいことに藍色の部屋の扉が開いていて、薄暗い室内で椅子に偉そうにふんぞり返って座っている藍色に手招きされた。
「みずは?」
「今、夕飯を作ってくれているよ」
「藍色も手伝えよ」
「私が手伝ったら余計に時間をかけてしまうだけだ。お前だってそうだろ」
「そりゃそうだけど」
 俺と藍色は料理が出来ないので、手伝ったところでみずの邪魔をしてしまうだけである。

 食器出したりするのは出来るけど。とはいえ、任せっぱなしではなくみずを手伝いたい気持ちもあるのだが、それ以上に美味しいみずの料理を食べたい気持ちがまさる。
「言っとくけど、彼女じゃないから」
「知っている。そもそもあいつ男だろ。なんであんなやつと一緒にいたんだ?」

 俺以上に初対面なはずであるヒカゲ君に対して随分な評価である。そして悪乗り確定。最悪だ。
「パンケーキが食べたいって強制的に連行されたの。なんでも恋人限定パンケーキがあって、友達に断れたんだってさ。目を付けられた」
「不運だな」
「全く。というか、なんでパンケーキを食べるために抵抗なく女装とかできるんだろ」
 違和感なく似合うからといって、こう抵抗感とかないものだろうか。それとも俺や藍色とは違って似合うなら抵抗とかはないのかもしれない。
「私が知るかそんなこと」
「藍色と朝から焼き肉いった方が全然ましってくらい店がもう甘かった。砂糖菓子で家を作ったらあんな感じになるよ、さてと藍色のせいで変な誤解されたからみずのとこ行ってくる。話し、特にないでしょ?」
「あぁ、もういい」
 俺はリビングへと向かうと、台所ではエプロンを付けてみずがフライパンで炒め物をしているところだった。
 夕食の準備中に話しかけるのもあれなので、ソファーに座って寛ぐ。
「あれ? デートはいいの?」
 夕飯の料理を一通り終えたみずが手をふきながら尋ねてきた。

「あれは藍色とヒカゲ君……さっきの真っ黒いのが悪乗りしてきただけなんだ。彼女じゃないよ」
「そうだったんだ」
 藍色の言葉をあっさり信じたように、俺の言葉も素直に信じてくれた。誤解がとけて本当に良かった。
「そう。しかも初対面。恋人限定パンケーキが食べたいからって、目を付けられた」
「何それ、面白い。そんな出会いあるんだね。いろが社交的だからかな?」

「あはは。まあ普通に不審者だって思ったよね。店側もさ、恋人限定とか炎上しそうなパンケーキを販売するなよって思うよ」
「恋人じゃなくても食べられるのが一番だよね」
「本当にな」
 すべての元凶はあのパンケーキだ。恨んでもいいだろうか、いいよね。
「そうだ。みず。来週の土曜日さ、一緒に夕飯食べない?」
「いいよ、何処か出かける?」
「そうだな……ラーメンとか」
「焼き肉に行こう」
 藍色が美味しそうな匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にかリビングにやってきていた。

「ちょっと財布がきつい」
 いくらパンケーキを出費しなかったからといっても、食べ盛りの大学生に焼き肉は結構な出費だ。
「私が奢るから焼き肉だ」
「やったーお言葉に甘えて奢られるわ」
 藍色が食べたいというのならば素直に奢って頂こう。
「しかし、夜か。昼間は用事でもあるのか? いつもは土日入りびたるだろう」
「昼間はさっきの黒い……ヒカゲ君と会う約束させられたの。だから夜ならどうかなって思ったんだ。それじゃ、今日はそろそろ帰るね」
 本当は課題を終わらせる予定だった。それが偶々ヒカゲ君に目を付けられてパンケーキを食べる羽目になり、恋人じゃない誤解を解きたくてここにきたので、いい加減課題を終わらせるべきだ。みずと藍色もそろそろ夕食の時間なことだし。
「わかった。じゃあまた月曜日学校でね」



 土曜日。ヒカゲ君と待ち合わせした場所で待っていると、赤いリボンの黒スーツのヒカゲ君が、隣に金髪の男を連れてやってきた。

 身長は俺と同じぐらいで、片方の揉み上げだけ若干長い。ピンク色の星型ピアスをしていて、赤いパーカーを着ている。全体的に派手めで不良の言葉が似合う。
 出来ればお近づきになりたくない人種だ。
 殺人鬼の知り合いがいる時点で何を言っているんだと呆れられそうだが、それはそれでこれはこれだ。
 多分この人が、この間電話でお断りされていたヒカゲ君唯一の友達だろう。
 というか、友達をいきなり連れてくるってどういうことなの。何も聞いていないんだけど。

 ヒカゲ君って自由奔放過ぎない。せめて事前に連絡してよ何のための連絡先交換よ。
「これは那由多」
「もの扱いするなら帰るぞ」
「じゃあ色葉。また土曜日会おうか」
「なんでそこで俺が約束延期されないといけないのさ!」
「さて、色葉。少し場所を移動しない? パンケーキ屋に行きたいんだ。美味しいところがあるってきいて」
「いいけど……なんか流れるように不安しかないんだけど」
 待ち合わせ場所はなぜか定番の駅前、とかではなく変な場所が待ち合わせだったのはそのためか、とか思ったけど、だったら最初からパンケーキ屋で待ち合わせにして良かったんじゃないかな。

 でもヒカゲ君は、初対面の相手にパンケーキを食べるためだけに恋人を申し出てくる人だしなぁ。
 ヒカゲ君と、ポケットに手を突っ込んで若干近づきにくい雰囲気の那由多さんを先頭にして後ろを歩く。

 せめてもう少し友好的になるためのイベントを挟んでから歩き出してほしかったよ。
「穴場にあるみたいでさ、行ってみたかったんだよねー」
「お前、いい加減太るぞ。よくあんなカロリーしかないもの食えるな」
「いくら食べても太らないから大丈夫」
「二十年後にもおんなじこと言えるのかよ。その顔でぶくぶくになるぞ」

「いや二十年たったら流石に老けているから、このままの顔じゃないと思うけど」
「てめぇ高校の時から人魚の肉食ってたみたいに見た目変わってねーだろ。老けるヒカゲは想像できねーっつの」
「そう? というかさ、僕が太る前に那由多が酒飲みすぎて肝臓やられてそう」
「オレの肝臓はビール程度じゃやられねーよ。ってかヒカゲはいい加減オレとビール飲めよ」
「嫌だ。酔わない自信はあるけど万が一酔ったら困るし」
 酔ったら何か変なことでもしでかすのだろうか。しでかしそうだなヒカゲ君のことだし。

 蚊帳の外に置かれているけど、那由多さん普通に口が悪くて怖いので、このまま話題を振られないといいな。
 ヒカゲ君はすいすいと道幅が狭くなって人気がない場所へ進んでいった。近道らしいというか本当に穴場を目指しているみたいだ。
 迷うことのない足取りが、唐突に止まった。ヒカゲ君と那由多さんがほぼ同時に最後尾を歩いていた俺の方を振り向いた。
「色葉、僕たち友達だよね」
「君がそういったんだけど……どうしたのさ急に」
「僕の友達がお前で二人目なのは覚えているよね? 一人目はこれなんだけど」
 ヒカゲ君は那由多さんを指差した。
「試したいことがあるんだ」
「……? 何を?」
「色葉の顔はそんなに僕の好みじゃないんだけど、友達って付加価値は貴重だからさ、楽しい気がするんだよね」
「顔……? ヒカゲ君何を言っているの……?」
「だからさ、友達殺させて」
「――は?」
 性質のわるい冗談かなって思ったんだけど、いつの間にか黒の手袋をしたヒカゲ君の手にはナイフが握られていた。

 まじで?
 那由多さんもニヤニヤと笑って楽しそうにしているし、ヒカゲ君は恍惚とした表情を浮かべている。

 これは冗談じゃなさそうで、冗談じゃない。というかナイフを持ち出した段階で、冗談の悪戯なわけがない。
 なんで友達からの急転直下があるんだよ!
 助けてと叫ぼうかと思ったけど、ここ人気のない路地裏だった。本当に、人気がない。誰も――いない。

 友達って、殺されるものだっけ。
 絶対間違っている。
 なのにヒカゲ君も那由多さんも楽しそうに笑っている。それこそ、友達と遊ぶみたいに。

「僕は中性的な美人な方が好きなんだ。色葉は整っているけど、別に中性的ではないじゃん? でも、友達を殺すのは初めてなんだから、興奮するし、僕好みの反応は期待できるよね。強気で睨みながら悲鳴を上げて泣いてほしい」
「人に性癖押し付けないでよ! 普通に無理に決まっているだろ」
 普通に痛かったら悲鳴上げるし、抵抗も出来ないわ。それ以前に何。ヒカゲ君と那由多さんは何者なわけ。なんで?
「そうなの? それはつまらないからやめてほしいな」
 俺はヒカゲ君の玩具じゃないんで、思い通りにいかないよって言おうとしたけど、その台詞こそヒカゲ君の好みっぽいのでやめておいた。
 とりあえず、逃げなければ――と思ったのに逃げ道を塞ぐように那由多さんが立ちふさがった。いつの間に移動したんだよこの人。

 足が竦む。どうしようとしてもつんでいる。
 冤罪かもしれないけどパンケーキのお店一生恨むからな!?
「にがさねーよ。オレはヒカゲと違って顔に好みとかないけど、でもヒカゲの友達っていう付加価値は大事だろ」

「さっきからなんで付加価値だのレアだの話しているんだよ」
「例えば、だ。シェフが作った料理の方が、素人の作った料理より美味しいに決まっている。けれど、そこに好きな人が丹精を込めて作った手料理だとしたら、シェフが作った料理よりも価値を見出す奴はいるだろ? それと同じだよ」
「全然違うでしょ!!」
「同じだよ。例え素材は一緒でも付加価値がついたらそれだけで別物だ。なら、ヒカゲの友達なんてオレ以外にはいなかったほどの存在だ。貴重な価値だろ? 気になって食べてみたくなるだろ」
 ニヤリ、と笑うギザ歯がやけに恐ろしい。

 本当に待ってほしい。
 総合するとヒカゲ君が人殺しを堪能したくて、那由多さんは人を食べたいということだろうか。
 これぞまさしく、住む世界が違う表現するところか。話しが通じない。

 軽妙な音を立ててヒカゲ君が近づいてくる。四方は壁。逃げ道は那由多さんが塞いで、前方にはヒカゲ君がいる。光を通さない黒い男は、不気味で得体が知れなくて――ひたすらに恐怖だった。身体が震える。逃げられない。
 殺される、と思った時、急にナイフが遠ざかった。ヒカゲ君が後方へ飛んだのだ。
 ついさっきまでヒカゲ君がいた場所に綺麗な弧を描くような勢いで足が過った。避けなければ頭部に直撃していた。理解が遅れてやってくる。

 ヒカゲ君と俺との間に、恐らくは壁を飛び越えて割り込んだのは――藍色だった。後退したヒカゲ君へ向けて一歩踏み出し蹴りを放つ。
 着地したばかりで動作が遅れたヒカゲ君を捕らえた。ヒカゲ君は腕でガードをしたが、痛みがあるのか顔を歪める。

 那由多さんの舌打ちが聞こえて、振り返ると、いつの間にか彼の手にはナイフが握られていた。
「あ、い、いろ……」
 俺を守るように立ちふさがってくれているのは間違いなく藍色だった。
「なんだその泡を食ったような声は。頬でもつねってやろうか?」

「脳の処理が追い付かない……」
 藍色が救世主のごとく現れるなんて予想できるわけがない。けど、同時に安心感が心と体を包み込んだ。
 何故という疑問と安堵に、藍色が背中越しに笑った。
「お前がみずと夕飯の約束をしているからだ。すっぽかしたらみずが悲しむだろ」
 単純な返しに、緊張が緩み、俺は腰が抜けて座り込んだ。
「あーあー。僕に蹴りを入れられる知り合いがいるとか、聞いていないんだけど? あの時の買い物帰りの人か。お前何者さ」

 ヒカゲ君は藍色を覚えていたようで嘆息した。藍色は返事をしなかった。
「僕はどっちかというとお前じゃない方が好みなんだけど」
 空気が冷えた。悪寒がするとともに藍色がヒカゲ君の元へ駆け出した。
 路地裏の、人気のない場所で起こる殺し合い。常識が壊れるような、非日常的な光景。俺の横を通り過ぎて、那由多さんがヒカゲ君の加勢に行った。俺の姿なんて既に目に入ってないようだ。
 二対一だが、藍色は的確にヒカゲ君と那由多さんの攻撃を捌いている。
 一撃を入れられず那由多さんが苛立った様子で怒鳴る。

 均衡が崩れない。ヒカゲ君や那由多さんは藍色を殺そうとするし、藍色はそれを上手に避けている。
 ――どうすればいいのか。懸命に頭を働かせると、光明が差した。
 異常な状態が起きたときには、善良なる市民の味方が、いる。
 スマートフォンを取り出して、そして――
「すみません! お巡りさん、助けてください!!」
 警察に通報した。


「――は?」
「え?」
「あ?」

 喧噪は静寂へ。三人の視線が一気に俺を見た。信じられないものを見るような、歪んだ顔をしている。
「ちょっと色葉。それって」
「警察に通報した。困ったときの110番」
「……冗談だろ?」

「冗談だと思う?」
 流石に距離があるから見えないだろうが、着信履歴の画面を前に突き出した。
「……ちっ」
 那由多さんがナイフを俺に向けた。藍色が俺と那由多さんの間に立つ。
「――仕方ないなぁ。那由多、行こ」
 ヒカゲ君が肩を竦めてナイフをしまった。
「いいのかよ」

「あんな切羽詰まった通報されたら警官が着ちゃうよ。殺してもいいけど、通報された後は後始末が面倒だ」
「それもそうか」
「隠蔽するにも時間が足りない。そこのお兄さんが邪魔してくるだろうし。あーあ、折角友達を殺してみたら楽しいと思って、前もって那由多にキャリーケースも用意させたのに無駄になった」
「パンケーキも食べ損ねたな」
「それは一緒に食べよう」
「いらねぇよ。とっとと帰るぞ」
 那由多さんもヒカゲ君の言葉に納得したようで、二人はそのまま去っていった。
 藍色は追わなかった。座り込んでいる俺に視線を合わせてしゃがんだ。

 白髪が場違いなほどに現実感がなくて、だからこそ今起きた出来事が現実ではなく悪夢だったように思えてしまう。
「生きてたな、怪我は?」

「ない……大丈夫……。藍色は全部知ってた? ……そういえば、ヒカゲ君が男だって気づいていたよね。女装したら女にしか見えないような可愛さだったのに」
 あの時のヒカゲ君は、何処からどう見ても愛らしい少女だった。逆に言えば、男だと気づけるのは元々ヒカゲ君を知っていたからに他ならないのだと。藍色が怪訝な顔をしたのは、俺が珍しく甘い店の前にいたからではなく、ヒカゲ君と一緒にいたからか。
 恋人じゃないと誤解を解きに藍色の家に足を運んだ時も、藍色は珍しく俺を部屋に呼んで、状況を知りたがった。普段ならばあり得ない。
「……初対面だが、知っているか知らないかで言えば知っている。向こうは私のことを知らないだろうが」
「ヒカゲ君と那由多さんはなんなの? 怖すぎるんだけど」
 今思えばパンケーキ店の前で偽装の恋人を申し出たとき逃げなくて良かったと本当に思う。あの「逃げたら殺すから」は冗談でもなく真実だったのだ。
「趣味で人を殺している殺人鬼だ。黒い方が美人を嬲って殺すのが趣味」

「ああ……だから好みの顔云々ってわけのわからないことを……」
「中性的で気の強い美人が好きらしい。金髪の方は、人を食べるのが趣味だ。殺すのが趣味なのと食べるのが趣味。だから、人を殺しても死体が残らない」
「最悪だ」
 人を殺して、食べて、趣味で犯罪を成立させてしまうなんて最悪にもほどがある。死体は残らないから事件にならないってことだろ。
 事件になっても殺人事件にならない。
 殺人鬼。ああ、
だからこそ、あの時、ヒカゲ君と遭遇した時に彼女だと揶揄ったのだと理解した。
 今にして思えばあの行動は藍色らしくない。

 俺だけに対して後で恋人か、と揶揄うのならばわかるが、知らない相手を巻き込む性格はしていない。
 だが、ヒカゲ君の正体を知っていたのならば話は別だ。
 何せ、藍色の隣にはみずが一緒にいる。
 みずをあの場から早々に離脱させる必要があった。
 ならば、俺に恋人がいたことにしてしまえばいい。そうすればデートの邪魔をするのは悪いとみずが判断するからだ。

「でも、ヒカゲ君が危険人物なら最初っから教えてくれれば良かったのに」
「別に私はお前が殺されようが生きようが構わなかったからな。教えてやる必要もない――だが、みずが悲しむのはさけたいからな」
 どちらも紛れもない本心。だから藍色は俺を助けに来てくれた。
「助かったよ。藍色、ありがとう。お蔭で死ななくて済んだ」

 本当に、今日だけは感謝してもしきれない。
「ところで、俺をつけてきたのか?」
「いいや。発信機を仕込んでおいた。尾行を勘付かれても面倒だからな」
「なるほど」
 藍色の家にしょっちゅう入り浸っているのでチャンスはいくらでもあっただろう。
「さて、私も立ち去る。お前は通報したんだから、やってきた警官に対して状況説明でも適当にしておけ。この周辺には監視カメラはないから、お前が警察に通報したら喧嘩していた人たちは脱兎のごとく逃げました、とかなんとかいって誤魔化せ。その辺は得意だろ?」
「当たり前だ」
 どれだけ猫を被って生きてきたと思うんだ。その辺はうまく帳尻を合わせるさ。

 
 というわけで、藍色たちがいなくなったあとやってきた救世主でもある警察官に状況を適当に作り上げて説明をした。
 防犯カメラも何もない場所で良かったとか思ったが、最初から俺を殺すつもりだったヒカゲ君や那由多さんが態々映像記憶に残るような場所を選択するはずは考えてみればないのである。


 もうこれでヒカゲ君と会うこともないだろう――と思っていたら後日道端で再会した。
 正確には道端で待ち伏せされていた。
 相変わらずの真っ黒に、赤いリボンを付けた姿をしている。
「やぁ色葉。今度の土曜日遊ばない?」
 普通に誘われた。
 先日俺を殺そうとしたやつの態度ではまかり間違ってもない。
 嘘だろ、この快楽殺人鬼。一体何を考えている。
「俺、死にたくないんだけど」
「もしかしてこの間のこと根に持ってる?」
「聖人君子じゃないんで、根に持っています。当たり前だろ」
「もう色葉のこと殺さないから大丈夫」
「ヒカゲ君のその大丈夫はどれほど信じてみていいやつなの? ヒカゲ君に対する信頼度めっちゃ低いよ」

「別に色葉をとても殺したいってわけじゃないからさ。面白そうって思っただけだから、殺さないもの普通にありだよ」
「せめてもっとまともな動機にしてよ! 殺されても浮かばれないし、殺されてなくても浮かばれないわ!」
「それに友達は大切にしてみようかと思ったから」
「驚くほど説得力がない」
「こんなに普通に会話しているのに遊ぶの嫌なの?」

 いや、目の前に現れたら会話するしかないでしょ。

 未知の相手のままだったら会話すらままならなかったかもしれないが、今ヒカゲ君は殺人鬼だとカテゴライズされている。殺人鬼なら藍色という知り合いがいるという心持で話せてしまう。
「まっでも」
 ヒカゲ君が悪魔のような微笑みを浮かべた。
「だからこそ遊ぼうって誘っているんだけどね」
「どういうこと」
 背筋が寒くなる。
「佐京色葉が僕を拒絶するなら、殺すつもりだったから。僕のことを知っているだけのやつを生かしておくわけにはいかないからね」
 そのつもりで今日は来たんだよ、とヒカゲ君は言った。
「……俺、ヒカゲ君に苗字教えた記憶ないんだけど」
「色葉の住所も家族構成も大学の学部も、出身高校も、把握しているよ。色葉の親友の名前も、お前を助けた白髪の男――藍色についても知っているよ」
「ヒカゲ君何者さ」
 確かに探れば俺や俺周辺の情報は手に入るのだろう。けれど、それは殺人鬼の得意分野ではない。
「探偵だよ」
「最悪」
 得意分野だった。殺人鬼と探偵を組み合わせるなよ。
 色々と言いたいことはあったし色々と言いたかったのだが、当たり前のようにヒカゲ君が接してくるものだから、なんだかどうでも良くなった。

 殺されなのならば、いいや。いざというときは藍色を頼ろう。
「わかったよ。ヒカゲ君が悪乗りしない限りは友達でいよっか」
「僕に彼女でーすって言われたことが、殺されそうになることより嫌なことだったの? そっちの方がびっくりだよ」

「ヒカゲ君が彼女とか、絶対嫌だから仕方ないだろ」
 結局のところ。
 素で接することが出来るヒカゲ君と一緒にいるのは、嫌いじゃないのだ。
 殺されかけたけど、生きているわけだし。
「あぁ、そうだもう一つ」
「なーに?」
「みずに害をなさないでよ。藍色が許さないからね」

 俺たちの中で一番ヒカゲ君好みの顔立ちをしているのは、みずだ。それだけは許されない。
「虎の威を借る狐だね」

「当たり前だ。俺は普通の大学生だからな」
「普通の大学生は殺人鬼の友人いないと思うけど?」
「藍色は友達じゃない。それと、なんで偶にヒカゲ君って常識的な発言するの? おかしくない?」
「色葉が割と性格悪いだからだよ」
「警察に通報するくらい良識はあるからね」
「じゃ、色葉。友達宜しくね」
「よろしく」

 握手はしなかった。



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